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トップページ >> 歴史 >> 楫取素彦 
 
◆前橋市の歴史
◆人物 ------------
◆楫取素彦
◆上泉伊勢守信綱
◆萩原朔太郎
◆建物 ------------
◆前橋城
◆臨江閣
 
 
 
 楫取素彦という人物を一言でいうならば、「幕末維新の志士から名県令、そして前橋市の恩人」であろう。
 文政十二年(1829)長州(山口県)萩の藩医松島家の次男として生まれた楫取は、 十二歳で藩校明倫館の儒者・小田村吉平の養子となり、 通称を伊之助といった。藩校「明倫館」で教えるとともに、吉田松陰に信頼され、松下村塾の後事を託され「松門の柱石・小田村伊之助」と讃えられた。幕末維新の国事に藩主・毛利敬親の懐刀として奔走。九州大宰府で坂本龍馬と出会い、薩長同盟への道を開いた。 明治維新政府の「参与」となったが、すぐに免官し帰郷した。 その後、再び新政府に仕え、足柄県参事・熊谷県権令・熊谷県令を経て、 明治九年第二次群馬県初代県令(知事)となった。 在任期間は熊谷県時代を含め十年に及び、本県の基礎を作り上げ「名県令」と称された。
明治17年元老院議官に転任。同二十年男爵。 宮中顧問、貴族院議員などを歴任し、大正元年三田尻(山口県防府市)で亡くなった。 享年八十四歳。
  楫取素彦
 
 
楫取県令と前橋二十五人衆
前橋25人衆  

わが為には苦労はせぬが

恋し日本に苦労する

たった一つの糸柱

それに並んで茶の柱

あぶない日本のその家に

四千万のこの民が

住まいするのを知らないか


前田 正名
 
 
 これは経済官僚の前田正名高橋是清に送った言葉です。日本は幕末の横浜開港以来、生糸と茶が二大輸出品となり外貨を獲得して近代化を進めていました。 楫取が県令となった熊谷県は、 明治六年に入間県(埼玉県)と群馬県を合わせて誕生した大県で、 養蚕・製糸業が盛んな上に、狭山茶の産地であった。まさに糸柱と茶柱で立っている日本の屋台骨であった。 明治九年(1876)熊谷県は群馬県と埼玉県に分割され、楫取は第二次群馬県初代県令となった。
下村善太郎を中心とした前橋の有力者25名(前橋二十五人衆)は、県庁を誘致し、前橋を関東の大都市とするためには、 いかなる犠牲をも払う覚悟で楫取に協力を約束した。楫取はその至誠に感動し、県庁を前橋に移す決心を固めました。

【写真】群馬県令として群馬の発展に尽力した楫取素彦の功績を讃え、初代前橋市長下村善太郎ほか、市内の有力者たちが発起人となり、1892年(明治25年)3月、前橋公園内に完成しました。碑の傍らに、楫取素彦ゆかりの防府天満宮(山口県防府市)から譲り受けた梅の木「至誠の梅」が植えられています。
  前群馬県令楫取君功徳碑
 
施設名: 前橋公園芝生広場内
所在地: 前橋市大手町3-13
アクセス: JR両毛線前橋駅からバス 約10分
関越自動車道前橋ICから 約15分
駐車場: 前橋公園日本庭園側駐車場をご利用ください
問合せ: 前橋市観光課 027-210-2189
【前橋二十五人衆】
下村善太郎・勝山源三郎・勝山宗三郎・須田傳吉・大島喜六・江原芳平・市村良平・竹内勝蔵・横川重七・松井林吉・ 鈴木久太郎・荒井友七・荒井久七・深町代五郎・八木原三代吉・筒井勝次郎・中島政五郎・田部井惣助・武田友七郎・ 横川吉次郎・生方八郎・桑原壽平・太田利喜蔵・久野幸人・串田宗三郎(敬称略・順不同)
 
     
  松陰の魂は上州人の手でアメリカへ  
 
 前橋藩は明治三年(1870)、日本初の洋式器械製糸所藩営製糸所を開設しました。当時生糸は日本の代表的な輸出品で、横浜の外国商人が利益を独占していましたが、前橋藩士・速水堅曹の伝習生・星野長太郎は、 明治七年生家のある勢多郡水沼村(桐生市黒保根町)に水沼製糸所を設立。生糸の直輸出を行おうと楫取素彦に援助を嘆願し、弟の新井領一郎をアメリカに派遣する計画を立てました。
 渡米の際、楫取の妻・寿は、渡米を夢見ながら果たせなかった、兄・松陰の形見の短刀を手渡し「この品には兄の魂が込められているのです。その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができるのです。」と語り、領一郎に託しました。新井領一郎は明治9年(1876年)に渡米後、ニューヨークを拠点に顧客の信頼を得て生糸の販売に成功し、日米貿易の基礎が築かれました。吉田松陰の魂は、上州人によってアメリカへと渡ったのです。

【写真】この銅像は、生糸を直輸出するために渡米する新井領一郎に、楫取夫人(寿)が、兄、吉田松陰の形見の短刀を託す場面を表したもの。2人と楫取、新井の兄で製糸家の星野長太郎の計4人が、高さ約170センチの等身大で作られたました。
  「楫取素彦と松陰の短刀」銅像
 
施設名: 前橋公園芝生広場内
所在地: 前橋市大手町3-13
アクセス: JR両毛線前橋駅からバス 約10分
関越自動車道前橋ICから 約15分
駐車場: 前橋公園日本庭園側駐車場をご利用ください
問合せ: 前橋市観光課 027-210-2189
 
  松陰の二人の妹、楫取の二人の妻  
 
 楫取素彦と吉田松陰が知り合ったのは江戸藩邸勤務時代。楫取は帰郷後に藩校である「明倫館」で指導するとともに、松陰の妹・寿子と結婚し義弟となりましたが、年齢は楫取が一歳年上でした。この二人の結婚は松陰が関わったものではなく、江戸で二人の結婚を知った松陰は「寿妹儀(ひさまいぎ)小田村氏へ嫁せられ候由(そうろうゆし)、先々珍喜此の事御同慶仕り候(さきざきちんきこのことごどうけいつかまつりそうろう)」と喜び、ふたりの絆はさらに深まりました。寿子の下の妹・文は久坂玄瑞に嫁ぎ、信頼する楫取と久坂が松陰ファミリーの一員となりました。玄瑞・文夫妻は子どもに恵まれなかったので、素彦・寿夫妻の次男・道明が養子に入りました。松陰は楫取を正直で「気力・詩力・酒力」は自分より上だと敬愛。 「江戸送り」のときには松下村塾の後事を託し、 「至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり」(『孟子』)とその思いを伝えた。  
 群馬県令となった楫取は「至誠」をもって県政を行った。 寿子は内助の功で夫を支えたが、中風症から胸膜炎を併発し明治十四年(1881)一月に亡くなった。すると母・滝子は久坂玄瑞未亡人となっていた文子に楫取との再婚を促した。文子は「貞女二夫にまみえず」と応じなかったが、 滝子は「こうすることが、亡夫・玄瑞や亡姉・寿子、亡兄・松陰の願いであろう」と説いた。 これで文子も再婚を決意。いったん杉家に復籍し、名前も美和子と改め、楫取と再婚した。 二人の結婚は年譜では明治十六年となっているが、同十四年末に文子は前橋の楫取のもとへやって来た。 寿子は明治九年から十三年まで、文子は明治十四年から十七年まで、前橋で過ごした。
 
     
   
 
  平成27年に放送されたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。 同作は初代群馬県令・楫取素彦の妻、文(美和子)を主人公にしたドラマで、 女優・井上真央さんが文役を演じ、 楫取素彦を支えた文の生涯が描かれました。

NHK大河ドラマ 花燃ゆホームページ
     
 
     
     
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