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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
◆前橋市の歴史
◆人物 ------------
◆楫取素彦
◆上泉伊勢守信綱
◆萩原朔太郎
◆建物 ------------
◆前橋城
◆臨江閣
 
萩原朔太郎の世界
     
 
◆「日本近代詩の父」   萩原朔太郎  
 萩原朔太郎は、前橋市北曲輪町(現千代田町)で医院を営む評判の高い医師の長男として生まれました。跡継ぎとして大切に育てられましたが、医学に興味を持たず、中学のときに与謝野晶子に心酔して短歌を作り始めてからは、雑誌に作品を投稿したり、友人と文学雑誌を作ったりと文学的な才能を花開かせていきました。中学卒業後も勉学に熱心になれず、熊本の5校、岡山の6校、慶応大学予科と入退学を繰り返した後、東京をさまよい、前橋に戻ったのが大正2年二月ごろ、朔太郎26歳の時でした。
 定職にも就かず過ごす朔太郎にとって、父をはじめ周囲の目はつらく、煩悶の日々を送る中、北原白秋が主催していた詩誌「朱樂」を手にし、白秋や室生犀星の詩に心を動かされます。同年5月、「みちゆき」「旅情」など、投稿した詩6篇が「朱樂」に掲載され、これをきっかけに詩壇にデビュー。その後、「典雅」で抒情的な詩を書いていた朔太郎でしたが、4年後に刊行された「月に吠える」の詩篇は、魂の内奥を鮮烈に表現したような詩が多く、近代人の複雑な感情を口語体(この頃の詩は文語体が主流でした)の緊迫したリズムで表現した詩集として、高い評価を得ました。そして、6年後には第二詩集「青猫」を刊行。「月に吠える」に比べると、言葉が柔和になり、口語の特長を生かした思索的で情緒的な詩風となっています。「青猫」は、口語自由詩の手法を推し進めた詩集として高く評価され、朔太郎の詩人としての地位を確固たるものにしました。
   
 
     
 
   朔太郎の「月に吠える」「青猫」の詩篇の多くは、1914(大正3)年に自宅の味噌蔵を改装して作られた、書斎で生まれました。改装に当たって、朔太郎の熱の入れようは大変なもので、日記に「完成するのを待つのは一日千秋の思である」と記しています。 当時ヨーロッパで流行していたせセッション式という美術様式を取り入れて、室内を西洋風に統一し、カーテンをかけ、自らデザインした机や椅子をおいて、詩を書いたりマンドリンを奏でたりしていました。
「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」(旅上)
と書いた朔太郎の、西洋への憧れが伺えます。遠いものにあこがれ、これを追い求めるのは朔太郎の本質だったともいえます。
  【朔太郎記念館パンフレット:PDF/265Kb】
  朔太郎記念館パンフレット1   朔太郎記念館パンフレット2
 
【朔太郎生家移転しました】
敷島公園内にあった萩原朔太郎記念館(朔太郎生家)が、前橋中心市街地にある前橋文学館の広瀬川を挟んだ東側へ移転いたしました。(住所:群馬県前橋市城東町一丁目2番19号)
 
 
邸内の様子   朔太郎が改装した味噌蔵   朔太郎がデザインした机と椅子   椅子の背面には草花模様が描かれている
【左:邸内の様子】
【右:朔太郎が改装した味噌蔵】
  【左:朔太郎がデザインした机と椅子】
【右:椅子の背面には草花模様が描かれている】
 
     
  「好きです前橋」で特集した「萩原朔太郎の世界」こちらからご覧いただけます。  
 
第1回 『月に吠える』『青猫』、口語自由詩を生み出した机と椅子


第2回 和風趣味への変化

第3回 朔太郎が歩いた風景 —前橋公園周辺—

第4回 朔太郎と音楽

第5回 朔太郎と赤城山

第6回 朔太郎と温泉

第7回 朔太郎の好きな食べ物

第8回 萩原朔太郎と自転車

第9回 朔太郎と震災

第10回 朔太郎と月

 
     
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