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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
◆前橋市の歴史
◆人物 ------------
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◆建物 ------------
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◆臨江閣
 
萩原朔太郎の世界
  27号より(シリーズ第二回)
和風趣味への変化
 
     
 
  広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生ら
いふ涯を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼め
にもとまらず。

「広瀬川」(『純情小曲集』1925)
『叙情小曲集』 1925(大正14)年 新潮社    
 
  朔太郎は『青猫』出版の2年後となる1925(大正14)年に、この「広瀬川」が収められた『純情小曲集』を出版しました。この詩集は、「愛憐詩篇[あいれんしへん]」と名づけられた『月に吠える』(1917)以前の初期の詩18編と、「広瀬川」など、前橋をうたった10編の新作「郷土望景詩」の二部構成となっています。  『月に吠える』、『青猫』で口語自由詩を確立したといわれる朔太郎ですが、この「郷土望景詩」では、「いささか心に激するところがあつて、語調の烈しきを欲した」(『純情小曲集』)ことから文語体を試みました。一方、「愛憐詩篇」も文語体で書かれてはいますが、典雅な雰囲気で、「郷土望景詩」と詩風が異なっています。  朔太郎は、1925年当時、東京・田端に住んでいて、近所には芥川龍之介や室生犀星が住み、互いによく行き来していました。芥川が、「郷土望景詩」の一部が発表された雑誌を読み、感激のあまり寝巻き姿のまま朔太郎を訪ねたこともあったようです。  
     
 
  わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔[ほのほ]は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。

「帰郷」(『氷島』1934)より
『氷島』 1934(昭和9)年 第一書房    
 
     
 
この詩は『氷島』(1934)に収録された「帰郷」の冒頭部分です。1929(昭和4)年に妻と離婚し、二人の子どもを連れて前橋へ帰ったことが題材となっています。
この詩のように『氷島』の全編が漢文調の文語体で書かれました。朔太郎は、むなしさや悲しみ、怒りを表現するには、このようなかたちしかなかったといい、また、「僕にとって明白に『退却[レトリート]』であった」(『詩人の使命』)とも言っています。  この『氷島』については、朔太郎の詩作の完成とみた高い評価と、逆に後退したという見方とに分かれて、出版当初から現在にいたるまで、さまざまな論議が続いています。
朔太郎は、若い頃は「極端の『西洋好き』」で、「朝から晩まで洋服を着、寝る時にさへもパジャマを着て」いて、「一切洋食でなければ食はず、バタ臭くない物は、人間の食物でないとさへ思つて居た」(『廊下と室房』)といいます。晩年は和服を着、和食と日本酒を好むなど和風の趣味へと変わっていきました。音楽も、洋楽趣味から、晩年は「蘭蝶」で知られる新内[しんない]など、邦楽を好むようになりました。
こうした「洋」から「和」への趣味の変化も、口語詩から文語詩へと詩のかたちを変えたことに、少なからず影響を与えているのではないでしょうか。
  遺品のレコード「蘭蝶」
 
     
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