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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
◆前橋市の歴史
◆人物 ------------
◆楫取素彦
◆上泉伊勢守信綱
◆萩原朔太郎
◆建物 ------------
◆前橋城
◆臨江閣
 
萩原朔太郎の世界
  27号より(シリーズ第二回)
和風趣味への変化
 
 

 少年時代から写真を撮ることを趣味としていた朔太郎は、前橋公園とその周辺を写した数枚の写真を残しています。公園東側、現在の芝生の広場のある場所を写したもの(【1】)は、左手の堤と満開の桜が、今と変わらぬ当時の様子を伝えています。トンネルの写真(【2】)は日本庭園から現在のるなぱあく(当時は牧場)への通路を、藤棚と池の写真(【3】)は臨江閣の南にある日本庭園を写したもので、ついこの間まで、当時とほぼ変わらぬ姿を保っていました。朔太郎の生家から前橋公園までは、歩いて10分ほど。ふらりと散策に出るにはちょうどよい場所だったでしょう。

 1914(大正3)年に初めて前橋を訪れた室生犀星は、前橋公園からほど近い旅館・一明館に滞在し、朔太郎と連れ立って公園の堤の上を散歩して歩きました。また、1915(大正4)年に訪れた北原白秋らを前橋東照宮に案内した際、記念に撮した写真が残されています。 朔太郎は1919(大正8)年、旧加賀藩士の娘・上田稲子と結婚しました。結婚披露宴がとり行われたのは、臨江閣の貴賓室だったそうです。朔太郎の父・密蔵は、前橋の中心部に病院を構える医師であり、その長男である朔太郎の披露宴は、盛大なものだったことが想像されます。

 
【1】前橋公園と桜
 
     
 

【2】前橋公園のトンネル
  朔太郎はまた、前橋公園周辺を題材にした詩作品をいくつか書いています。

     少年の日は物に感ぜしや
     われは波宜亭の二階によりて
     かなしき情歓の思ひにしづめり。

「波宜亭」冒頭部分(『純情小曲集』1925) 

   波宜亭は現在のるなぱあく南西の一角にありました。日本庭園から朔太郎が撮影した写真のトンネルを通って、当時は牧場だったるなぱあくの場所へ出る、その出口付近に波宜亭がありました。
  「波宜亭」は、若き日の自分を回顧する浪漫的な要素を持つ作品ですが、同じ『純情小曲集』所収の前橋公園に材を得た「公園の椅子」には、故郷への愛憎なかばする心情が烈しい言葉で表現されています。
 
     
 

     人気なき公園の椅子にもたれて
     われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
     いかなれば故郷[こきやう]のひとのわれに辛[つら]く
     かなしきすももの核[たね]を噛まむとするぞ。

                    「公園の椅子」冒頭部分(『純情小曲集』1925)

 「公園の椅子」が発表されたのは、臨江閣での結婚披露宴から6年後の1925(大正14)年、詩誌「日本詩人」の6月号でした。この年の2月、朔太郎は妻子を伴って念願の上京を果たしています。8月には、「公園の椅子」や「波宜亭」のほか、「広瀬川」「大渡橋」などの「郷土望景詩」が収められた詩集『純情小曲集』が刊行されました。

  この詩集には、詩の題材となった前橋各所について、朔太郎自身が解説した「郷土望景詩の後に」が収載されていますが、「前橋公園」の項は、次のように書かれています。

前橋公園は、早く室生犀星の詩によりて世に知らる。
利根川の河原に望みて、堤防に桜を多く植ゑたり、常には散策する人もなく、さびしき芝生の日だまりに、紙屑など散らばり居るのみ。所所に悲しげなるベンチを据ゑたり。我れ故郷にある時、ふところ手して此所に来り、いつも人気なけ椅子にもたれて、鴉の如く坐り居るを常とせり。

「郷土望景詩の後に」より(『純情小曲集』1925)

 
【3】藤棚と池
 
     
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