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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
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萩原朔太郎の世界
 

31号より(シリーズ第六回)
朔太郎と温泉

 
 

萩原朔太郎の父・萩原密蔵は、1885(明治18)年に前橋北曲輪町(現・前橋市千代田町二丁目)で萩原医院を開業し、地元で名医と評判だった人です。

密蔵は開業前に、伊香保に赴任し、温泉療法の指導などをする伊香保浴医局に局長として勤めていたことがあります。こうした縁もあり、萩原家では夏になるとしばしば伊香保温泉に避暑に行っていました。

朔太郎は生涯を通じて、伊香保温泉のほか、四万温泉や長野方面などの温泉へたびたび出かけました。『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)に収録されている年譜によれば、子どものころからあまり体が丈夫ではなかったため、健康保持もその目的だったようです。もちろん、温泉療養のためばかりではなく、親交の深かった室生犀星など、さまざまな詩人・文学者と各地の温泉を旅行しています。朔太郎を師として慕った詩人の三好達治に初めて面会したのは、伊豆の湯ヶ島温泉でした。  朔太郎は前橋中学(現・県立前橋高等学校)時代に、伊香保の石段街を描いています。(写真【1】)このイラストは、1904(明治37)年12月刊行の前橋中学校友会誌「坂東太郎」に掲載されました。日露戦争の最中で、「遼陽占領当時の伊香保市街」とのタイトルが付けられています。ちなみに、写真左下の萩原美棹というのは朔太郎が若いころに用いたペンネームです。

伊香保の石段に関する作品をもう一つ紹介します。朔太郎が1913(大正2)年にまとめた手書きの歌集『ソライロノハナ』に「歌舞伎座の運動場にて見し人を伊香保の町の石段に見き」という短歌があります。
詩人として知られている朔太郎ですが、文学の出発は短歌からでした。

 
【1】朔太郎が描いた伊香保の石段街
 
     
 

【2】朔太郎が写した川原湯温泉
   また、朔太郎は、写真の趣味があり、自分の暮らした前橋や東京、また、旅した場所を撮影しました。こうした写真の中に、時期は不明ですが、川原湯温泉の宿を写したものがあります。(写真【2】)
 一方、朔太郎の長女で、小説家の故・萩原葉子さんの著書『父・萩原朔太郎』によると、朔太郎は「とてもお風呂が嫌いで、祖母(注:朔太郎の母・ケイ)が無理に勧めなければ、幾日でも入らなかった。」といいます。熱いお風呂が苦手だったらしく、お酒を飲んで夜遅く帰ってきた朔太郎が、そのまま二階へ上がってしまうのを、母・ケイが呼び止め、お風呂に入らせますが、朔太郎はカラスの行水のようにすぐに出てきてしまったようです。

 ところで、朔太郎が温泉郷についての雑誌のアンケートに答えた記録が残っています。好きな温泉についての質問に対し、「箱根、但しぜいたくすぎて行けません。」と答えています。

  カラスの行水では、温泉につかりながら詩を作るなどということは難しいでしょうが、きっと朔太郎も、温泉地でゆっくりと過ごしながら、詩や詩論のアイディアを練っていたことでしょう。

 
     
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