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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
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萩原朔太郎の世界
  33号より(シリーズ第八回)
萩原朔太郎と自転車
 
 

 十二月二十日 今日ヨリ自転車ヲ習ハント欲ス。貸自転車屋ニ行キテ問ヘバ、損料半日二十銭也ト言フ。ヨリテ一台ヲ借リ、附近ノ空地ニ至リテ稽古ス。操縦スコブル至難。ペタルヲ踏メバ忽チ顛倒ス。ヨリテ人ヲシテ車体ヲ押ヘシメ、漸クニシテ車上ニ乗ル。シカモ一歩ヲ踏メバ直チニ顛倒シ、車ト共ニ地上ニ落ツ。身体皮肉痛苦甚ダシ。ヨリテ止メテ帰ル。

 これは「自転車日記」という萩原朔太郎による日記風エッセイの冒頭です。
  朔太郎と自転車といってもイメージしにくいかもしれませんが、このエッセイだけでなく、後述する伊藤信吉さんの文章などからも、朔太郎が自転車によく乗っていたことがうかがわれます。しかし、自転車に乗り始めたのはけっして早くはなく、筑摩書房版朔太郎全集の年譜によると大正10年(1921)に「この頃から翌年にかけて自転車を習う」とあり、36歳になった冬に練習を始めたようで、「自転車日記」にはその様子が記されています。文語調ですが、なかなか面白い文章なので引用しながら紹介しようと思います。
 
朔太郎撮影の大渡橋
  朔太郎は、冒頭の文章の翌日からは弟に教わる形で練習を再開したようで、翌々日には、

「今日初メテ正常ニ走ルヲ得タリ。快言フベカラズ。然レ共コレ直行ノミ。曲折セントシテ把手ヲ転ズレバ、瞬間忽チニシテ顛倒」
してしまいます。
 しかし、コツをつかむと、「即チ場内ヲ一周シ、自由ニ操縦シテ誤ルコトナシ。内心ノ得意言フベカラズ。試ミニ場外ニ出デ、大ニ街上ヲ走ラント欲ス」となりますが、

「即チ出デテ走レバ、忽チ坂道ノ傾斜ニ会ス。疾行トミニ加速度ヲ増シ、不安甚シク心気動乱ス。前路ニ数名ノ行人アリ。余車上ニ呼ビテ曰ク。危シ、危シ、避ケヨ、避ケヨト。行人顧ミテ笑ヒテ曰ク。汝自ラ避ケヨト。余コレヲ避ケント欲シ、誤ツテ崖ニ衝突ス。車体弓ノ如ク彎曲シ、余ハ路上ニ落チテ数ヶ所ノ打傷ヲ負ヘリ。コレヲ荷ヒテ自転車屋に運ベバ、マタ損害料金五円ヲ取ラル。余ハ心ニ盟ヒテ、再度自転車ニ乗ラザルベキヲ約セリ」

と、二度目の断念にいたります。
 
     
   ところが年が変わった十日にそれまで乗っていた自転車が
「余ノ借リタル車体ハ、廃物同様ノ古物ニシテ、始メヨリ制動機ノ設備ノナカリシコト、今ニ至ツテ知ルヲ得タリ」のため、再び練習を続け、その五日後には「既ニ全ク熟練シ、市中ヲ縦横ニ乗走シ得。歩行シテ数時間ヲ要スル遠路ヲ、僅カ一時間ニシテ走リ、シカモ殆ンド疲労ヲ知ラズ。天下アニカクノ如キ爽快事アランヤ。」と、自転車の面白さを実感するまでになり、
「地図ト磁石ヲ携ヘテ近県ノ町ニ遠乗リ」し、帰ると父に「モシ汽車ニテ往復スレバ、約五十銭ノ旅費ヲ要スベシ。然ルニ余ノ費消シタル所ノモノハ、二杯ノ汁粉代金八銭ノミ。自転車ノ利、アニ大ナラズヤト」と得意気に自慢しますが、父からは「用ナクシテ行キ、無益ニ八銭ヲ費消ス、何ノ得カコレアラン。汝ハ小学生ノ算術ヲモ知ラザルナリト」と返される挿話もつづられています。
 
     
 
 そんな朔太郎ですが、伊藤信吉さんによると、大正13年に「今のサイクリング用の軽快車を思わせる細身の車体」の自転車に乗っており、別の人も朔太郎の自転車を「ピカピカ」だったと言っていたと『郷土望景詩をめぐって』の中に記しています。「朔太郎のハイカラ趣味」はこんなところにも表れていたようです。

 また、朔太郎には「国定忠治の墓」という詩があるのですが、「詩篇小解」として付された文章によると、忠治の墓がある国定村(現・伊勢崎市国定町)まで自転車で出かけていき、その作品を書いたとあります。しかしこの国定村までは前橋市から片道20キロあります。さらに、妹のみねさんによると、昭和2年に安中町(現・安中市)に住んでいた自分のところへ自転車できた(「兄の思い出」)ということです。こちらも往復40キロ。当時は今と比べて格段に道路は整備されていなかったことを考えると、相当大変なものだったのではないでしょうか。

 最後に、朔太郎の詩に自転車が登場する「郷土望景詩」の中の一篇をご紹介します。伊藤さんは先の著作の中で「この詩を作ったときも、やはり朔太郎は自転車で行っただろう」と述べています。

 

 
朔太郎撮影の大渡橋
大正11年夏ごろ
手前が前橋側で、自転車に荷物を
積んだ人の後ろ姿などがみられる

大渡橋

ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自転車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
塩のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤独の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。

『純情小曲集』(1925 新潮社)

 
     
     
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