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トップページ >> 歴史 >> 萩原朔太郎 
 
◆前橋市の歴史
◆人物 ------------
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◆建物 ------------
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◆臨江閣
 
萩原朔太郎の世界
  34号より(シリーズ第九回)
朔太郎と震災
 
 

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が起きました。震源は神奈川県相模湾沖。マグニチュードは7.9。死者は10万人とも言われています。震源が都心に近かったこと、昼食の時間帯で火災が各所で発生したことなどから、被害は甚大なものとなりました。

 この時朔太郎は36歳。父・密蔵が開業医を引退してから1919(大正8)年に移り住んだ前橋市石川町(現・紅雲町)の家に、両親、妻、二人の娘と共に暮らしていました。この年の1月に刊行した第二詩集『青猫』は、第一詩集『月に吠える』に続いて高い評価を受け、朔太郎の詩壇における地位を不動のものとしていましたが、経済的には親がかりの生活が続いていました。
朔太郎の長女・萩原葉子は、エッセイ『父・萩原朔太郎』(1959年、筑摩書房)に、関東大震災のことを書いています。葉子によれば、庭で遊んでいると足元が左右に揺れ、「地震!地震」と叫びながら祖父母や父母があわてて飛び出して来ました。皆が庭にそろった時、祖父が「あきらがいない!」と叫び、母があわてて妹の明子を抱き取るため、家に入りました。葉子は恐ろしくて、夢中で父につかまっていました。葉子はあと3日で3歳、明子はこの日が1歳の誕生日でした。

 
『阿帯』(1940年、河出書房)
「人間と歩行」が収載されている。

 前橋は大きな被害を受けず、朔太郎は東京の室生犀星に届けようと、10円の為替を同封した手紙を、上京する前橋の青年団に託しました。そして数日後には親戚を見舞うため、東京へと向かいました。

 大震災のあつた当時、私は尚田舎の生家に住んで居たが、東京の親戚を見舞ふために、若干の米と食料品を背中に背負つて、武州大宮から東京まで、約十里ほどの旅程を、徒歩で歩いたことがあつた。さうした道中に慣れない私は、ただの身軽でさへも疲れ易いのに、背中に背負つた重たい米と、灼きつくやうな炎暑のために、すつかりとへとへとに疲れてしまひ、漸く一里も歩かぬ中に、意気地もなくへたばつてしまつた。

「人間と歩行」(『阿帯』1940年、河出書房)

 
     
 

1922(大正11)年、前橋市石川町(現・紅雲町)
の自宅で親戚と。
前列左から3人目より母・ケイ、父・光蔵。後列左
より長女・葉子、妻・稲子、朔太郎。
   当時東京には、母方の従兄・八木省三、叔母の工東ちよが住んでいました。
朔太郎の祖父・八木始は旧前橋松平家の家臣で、後に松平家の相談役となって東京麹町の松平邸に居住していたそうです。八木家にとって初孫だった朔太郎は、幼い頃から祖父母にたいへんかわいがられ、たびたび遊びに行ったり、一緒に旅行するなどしていました。震災の時、祖父母は亡くなっていましたが、幼い頃より親しくしていた従兄や叔母の身を案じ、食料を担いで東京へと向かったのでしょう。年老いた父や母の名代という意味もあったかもしれません。 大宮から先は徒歩で向かい、1里もしないうちにへたばってしまった朔太郎は、残り9里の道のりを、歩いて無事東京までたどり着けたのでしょうか。
 この震災では、混乱の中、朝鮮人が暴動や放火を起こすといった流言が飛び交い、無実の朝鮮人が軍隊や警察、民間人によって殺害されました。群馬では、日本人の自警団が藤岡警察署に乱入し、県知事の命で保護されていた朝鮮人17名を惨殺するという傷ましい事件が起こりました。いわゆる「藤岡事件」です。
こうした惨劇を、朔太郎は次のような作品にして、1914(大正13)年2月、「現代」に発表しました。
     

  近日所感

朝鮮人あまた殺され
その血百里の間に連なれり
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

「現代」1914(大正13)年2月
   この「近日所感」で朔太郎は、激しい怒りの感情を漢語調の文語体で表現しています。このスタイルは、朔太郎が大正13年から翌年にかけて発表した「郷土望景詩」に通じるものです。
 朔太郎には、日露戦争の捕虜を見て詠んだ短歌「民はみなかちどきあげぬ美しき捕虜の馬車のまづ見えしとき」(「スバル」1910年4月)や、皇国史観の中で逆賊扱いされていた足利尊氏を擁護するエッセイ「歴史教育への一抗議」(『無からの抗争』1937年)、任侠の徒・国定忠治の墓を題材にした詩「国定忠治の墓」(『氷島』1934年)などがあります。  社会の周辺にいる人々や、歴史の中で疎外された人物へ視線が向けられているのは、朔太郎自身が常に社会の中で孤独感や疎外感、憤りを抱いて暮らしていたからにほかなりません。震災の混乱の中で生じた惨劇への怒りを直接的に表現した「近日所感」は、そのことを物語っています。
 
     
     
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