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”前橋産”花火を創り出す花火工房

夏の夜空にきらめく光のアート・花火。前橋市で花火大会が開催されるようになったのは、1948年、前橋市街地を襲った空襲から3年後のこと。元来は街の復興を願って打ち上げられた花火ですが、現在ではお祭りのように前橋市を活気づけてくれる「夏の風物詩」として楽しまれています。

2024年8月10日(土)に開催される、第68回前橋花火大会。そこで披露される花火は、どんな人たちによって作られているのでしょうか。市内に工房をかまえ、“前橋産”の花火を作り続ける花火工房に取材を行いました。

前橋産花火を創り出す花火工房



前橋市南東、のどかで見晴らしのいい東大室町。ここ上州花火工房は、1857(嘉永7)年に創業し150年以上の歴史をもつ蟻川銃砲火薬店(千代田町)が2016年にはじめた、花火の製造と打ち上げを行なっている会社です。同工房の作る花火はニューイヤー駅伝やスキー場のオープニングセレモニーなど様々な場面で活躍しているほか、例年開催されている前橋花火大会には花火作り・打ち上げのほかに企画構成でも関わるなど、「前橋の夏」にとって欠かせない存在になっています。
  
撮影:酒井正弘

上州花火工房が特にこだわるのは、花火の「色」。狙った色を出すのがとても難しいと言われる花火の世界で、夜空の暗さに負けない鮮やかな光を自由自在に表現するさまは、まるで魔法のよう。「上州花火工房に出せない色はない」と、業界でも注目されています。

 

工房で日々花火づくりに取り組むのは、工場長である花火師の吉田敬一さん。昭和、平成、令和と時代をまたいで花火を作り続ける、花火一筋の職人です。
 
伝統を重んじながらも枠にはとらわれず、現代と未来を見つめた「新しい花火」を作り続ける。その技術と情熱の源を探りました。
 

花火とともに生きる



「小学校の頃にはもう、花火を作りたいと思っていたんですよ」
 
吉田さんの地元である福島県・郡山市とその周辺地域では、結婚式、初孫の誕生、豊作記念など様々な場面で地域の人たちによって花火が上げられていたそう(当時)。幸せに寄りそうように打ち上げられる花火と、そんな場を取り仕切る大人たちの楽しそうな姿を見ながら育ち、花火への情熱は少しずつ大きくなっていったといいます。
 
その後、地元の花火会社でのアルバイトを経験したのち県外に飛び立ち、いくつかの花火会社で花火師としてのキャリアを築きました。
 
「その頃の花火業界は、“見て覚えろ”の時代。いや、今でもそうかもしれません。教えてもらうのではなく見ることから修行が始まり、『やってみろ』と言われて初めて触らせてもらえるんです」
 

2013年の前橋花火大会。その花火制作に関わる蟻川銃砲火薬店の代表・蟻川洋子さんが、大会の手伝いに訪れていた吉田さんと出会いました。その頃の吉田さんは山梨県の花火製造会社を退職したばかりで、有名テーマパークや全国的に名高い花火大会の花火を手がける花火師になっていました。
 
「1万発だの1万5000発だの、花火は数で競ったってダメなんだ」……吉田さんが打ち上げの準備をしながらつぶやいた言葉に、蟻川さんは自身がずっと考えていたことを思い出します。
 
「『日本の花火文化』を後世に残していくためには、輸入ではなく、国産の花火を作るしかないと思っていました。でも、その体制を整えるのはとても難しく、技術を持っている方も少なくて」(蟻川さん)
 
  

国内に300社程度あるという「花火屋(花火会社)」の中で、実は花火を製造している「花火製造業者」は1/3程度。過去、蟻川銃砲火薬店も花火作りを手がけていたことはあったそうですが数年で取りやめ、前橋花火大会には指揮管理として携わってきました。
 
縮小しつつある花火業界で生き残るためには、「質の高い花火」を自分たちの手で作っていくしかない……。その思いをもとに、蟻川さんは吉田さんをスカウト。そして2016年に吉田さんを工場長とする「上州花火工房」が立ち上がりました。
 

夜空に虹をかける「色」の技術

従来の日本の花火業界でもっとも重視されてきたのは、花火の「形」。「きれいな色を出すこと」はあまり研究されず、炭火色と呼ばれる赤橙色の一色だけでした。


それぞれの光の色が次々に変化する「虹の町 まえばし」

しかし、吉田さんはどこまでも「色」にこだわります。特に、ピンクやレモン色、水色などのパステルカラーが出せる技術者は少ないそうで、これが上州花火工房のひとつの大きな価値でもあります。
 
「ピンクは赤を薄くした色ではなくて『ピンク』という色。水色は青を薄くした色ではなく『水色』という色なんです。もともとある色を薄めて使っても綺麗にならないことが多いから、うちでは、きちんと狙った色に合わせて調合して色を出しているんですよ」
 
その言葉通り、花火の色は常に改良を重ねています。2023年の前橋花火大会で披露された「虹の町 まえばし」では、バランスよくスムーズに色が移り変わるよう、14色を使って7色の変化を表現しました。
 
吉田さんの「色」を使いこなす感覚、そして、それぞれの色を美しく変化させるための技術。このふたつが相乗効果を生み、「上州花火工房にしか作れない花火」が実現されています。

 
鉛玉のように重い星。落としても割れないほど硬い

花火の色を司るのは、「星」とよばれる火薬の球。出したい色に合わせて薬品や金属粉を調合して芯をつくり、泥団子の要領で何度も火薬をコーティングして成形します。
 
吉田さんが作る星は、他の花火師のものと比べて「硬い」と言われています。鮮やかな発色を実現するために、通常の1.5〜2倍くらいの密度を持たせているのだそうです。
 
「ふつう、『硬い星には火がつきづらい』と言われているんですよ。でも、適切な着火技術があれば大丈夫。これまで誰も試してこなかっただけなんです」

 
火薬をまとわせては天日干しする。花火作りは全体を通して天候の影響を受ける
 

「最後には、泣いて帰ってもらいたいんです」



さらに吉田さんは、花火の「演出」も「お客さん目線でないといけない」と言います。 前橋花火大会においても従来とは構成を大きく変更し、ひとつひとつストーリーやコンセプトを定めたプログラムを実施。たとえば、群馬県に馴染み深い「からっ風」と「雷」をイメージした「スペシャルスターマイン『風神・雷神』」では、前橋華龍太鼓の迫力ある生演奏の中、笛の音が響く花火を次々と打ち上げました。
 
ある日、吉田さんが渋川市で担当した花火を見たお客さんから、直接電話が届いたこともあったそうです。「花火を見ていたら、涙が出てきました」。これは、吉田さんの願いでもありました。
 
「本当は、うちの花火を見て、笑うのではなく泣いて帰ってもらいたいんです。人は、これまでに見たことがないような素晴らしいものに出会った時、自然に涙が出ます。そういう花火を作りたいと思っています」
 

また吉田さんは、花火という文化を後世に残すためには「今、業界が変わらないといけない」とも話します。
 
「以前と比べて規制も増え、花火に対する意識が変わってきています。いい花火を作ることは当たり前で、そのうえで『ここに花火を作ってもらいたい』と価値を感じてもらう必要があります。選ばれる花火屋にならなければいけないんです」
 
その言葉通り、上州花火工房は工場内がきれいに整理整頓され、来客の対応をする事務所も広く快適。花火玉には米のりや蒟蒻粉などの自然素材を用い、田畑への影響を最小限におさえる工夫をしています。

 
火薬を包む玉皮には環境負荷の低いクラフト紙を使用

「花火は、突き詰めると、『どれだけ想いを込められるか』というこだわりの世界なんです。まだまだ前橋でやりたいことがたくさんあります。」
 
人々に感動を届けるとともに、花火業界の新たな可能性をさぐる上州花火工房。夏の夜を彩る一瞬のきらめきと感動のために、妥協しない花火づくりを続けます。


※この記事は2024年4月時点の情報です。
★前橋花火大会についてはこちら

マエバシ 〇〇 ライナーノーツとは?

私たちは日々の生活の何気ないひと時でも、数多くのコンテンツに触れています。
そしてコンテンツの数だけストーリーが存在します。
マエバシ◯◯ライナーノーツでは前橋にまつわる文化や歴史に関わる人や、
その張本人だからこそ知っているエピソードを紐解き、お伝えして参ります。

第2回目のテーマは前橋花火大会を支える「花火工房」。花火師の想いや花火製造の舞台裏をお楽しみください。