前橋空襲を語り継ぐ爆撃照準点
前橋市がアメリカ空軍B29の空襲を受けたのは、アジア太平洋戦争終結の直前の昭和20年(1945年)8月5日午後10時28分から6日午前0時8分。爆撃照準点をめがけて約18万発もの焼夷弾が投下され、市街中心部の80%が焦土と化し、約600人の死者がでました。
このマンホールは、この記憶を後世に伝えるため、前橋市のヒストリックランドマーク整備事業において、令和6年11月30日に設置されました。
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