橘神社と福守様

この神社は、誉田別命(おむたわけのみこと)を祭神とする八幡宮であったが、明治40年(1907)3月に許可を得て、本社の境内末社(菅原神社、神明宮、大山祗(おおやまづみ)神社、愛宕神社)および、字諏訪の無格社諏訪神社、同境内内末社四社(琴平神社、菅原神社、厳島神社、大山祗神社)、字天神窪の無格社諏訪神社、同境内内の末社三社(神明宮、厳島神社、大山祗神社)、字橘の無格社橘水分(みくまり)神社、同境内内末社水神社、字砂押の無格社雷電神社を本社八幡宮に合併し、橘神社と改称して現在に及んでいる。
本殿の裏には、伝説で知られるお社宮司様(おしゃぐっちゃま)の石宮がある。
本殿は、昭和8年に改築、改築前の本殿は現在祓殿及び神輿収納所として使用している。
なお、地元の人から福守様と呼ばれる性神は、水分神社ともいわれ境内の一番高いところに祭られている。本殿の裏には、たくさんの石宮や道祖神の文字塔が見られる。
また、境内には田口公民館がある。
※誉田別命(ほむたわけのみこと)は、第15代天皇の応神天皇、誉田別尊(ほむたわけのみこと)のことである。
(文:田口町歴史研究会)

住所 〒371-0048 群馬県群馬県前橋市田口町甲461